Discover 栃木 温泉文化遺産(温泉文化史)
 
 那須7湯の変遷


【那須7湯→那須8湯→那須9湯→那須11湯→那須7湯】

○江戸時代〜明治初期
 「那須7湯」
  那須湯本、高雄股、辨天、北、大丸塚、三斗小屋、板室(塩沢)をもって那須7湯

○明治後期
 「那須8湯」 旭を加える。
 「那須9湯」 茶臼瀧を加える。那須9湯組合事務所が活動。
 ※「昔は那須7湯と呼んで、那須が岳の4周に湧き出づる鉱泉7つを数えた。
  湯本、高雄股、辨天、北、大丸、三斗小屋、板室が即ちこれで、
  最近に旭、及び茶臼瀧の2湯を加えて9湯と云う様になった。茶臼滝鉱泉は最近の発見ゆえ分析表なし」
  出典:「那須温泉栞」(明治44年)

○大正時代
 「那須11湯」 飯盛、郭公を加える。

○現在 色々
 「那須7湯」 那須温泉(鹿の湯) 大丸 北 弁天 高雄 三斗小屋 板室
 「那須7湯」 那須温泉(鹿の湯) 大丸 北 弁天 高雄 八幡 三斗小屋
 「那須8湯」 那須温泉(鹿の湯) 大丸 北 弁天 高雄 八幡 三斗小屋 新那須温泉
 「那須11湯」 那須温泉(鹿の湯) 大丸 北 弁天 高雄 三斗小屋 旭 飯盛 郭公 八幡 新那須


【各温泉の概要】

 各温泉について明治の温泉案内書等よりまとめました。

  ○ 那須湯本
  ○ 高雄温泉
  ○ 弁天温泉
  ○ 北温泉
  ○ 大丸温泉
  ○ 三斗小屋温泉
  ○ 板室温泉 
  ○ 旭温泉
  ○ 茶臼瀧温泉
  ○ 飯盛温泉
  ○ 郭公温泉
  --------------------
  ○ 八幡温泉
  ○ 新那須温泉
  ---------------------
  ○ その他の歴史的経緯のある温泉


那須湯本

 「那須湯元温泉場絵図」(明治38年発行 観光協会に写)によると、元湯の近くに滝の湯があり、
 そこから少々離れた場所に、
 「行人の湯」「鹿の湯」「御所の湯」「中の湯」「河原の湯」の湯屋が並んでいます。

 「日本鉱泉誌」(内務省衛生局編)によると、源泉は行人の湯と鹿の湯としており、
 湯屋はすべて行人の湯・鹿の湯を使用していたようです。

 「那須七湯周遊案内記」(佐藤房之助,人見環著 常磐商店 明24.7)等の温泉案内書によると、
 安政以前は、それぞれの湯屋でそれぞれの源泉を使用していました。
 安政5(1858)年6月14日夜、大洪水の山崩れで全戸流失の惨状となります。
 このため湯屋を移転し、樋にて温泉を導きました。

 「右大将(源頼朝)の浴せし温泉を御所湯と称へしと口碑に存せり」として、御所の湯がありました。
 現在の「御所の湯」源泉は、昔の源泉名と同名を命名したことになります。

 明治の頃の、那須湯本での宿での賄を紹介します。
  宿賄 1日もしくは1週間いかほどと定めておけば宿で不都合のないようにする。
  自賄 自分で煮炊きするか下女を雇って賄う。
  伺い 献立表をもって伺いにくるから、好きなものを命ずる。病気で禁断のある人はこの方法に限る。

    

「鹿の湯」天然記念物・温泉源

 「湯本温泉源」は那須町の天然記念物に指定(昭和35年天第10号)されています。
 「湯の素採取場」(「湯の素」は鹿の湯、行人の湯の2ヵ所の源泉から引湯した温泉水で採取されております。)があります。

     

「鹿の湯」 那須町湯本51

 鹿の湯は「41℃ 42℃ 43℃ 44℃ 46℃ 48℃」の6つの浴槽があります。
 48℃湯舟の縁で涼んでいたら、意に反して、順番待ちにカウントされていました。
 湯奉行に「ほれ、あんたの番」と言われ、「え?!」否応なく10秒入りました。
 「もう出るの?ゆっくりつかれ」と仕切られ、さらに20秒入りました。
 ある時は、「いち、にぃ、さん」と10も数えられず、幸にも湯奉行不在で、3秒で飛び出しました。

  


高雄股温泉

 天保年間(1830〜1843)に高久學左衛門が開発。湯槽1、浴舎1あり(常住者なし)。
 高湯山信仰の行人が身を清める神聖な「お行の湯」として知られていました。

 明治の高雄温泉の絵図では、湯舟のようなものが段々畑になって27個も連なっています。

 おおるり山荘(閉館)の前は、望雲閣という旅館がありました(写真)。

    

〇ほったらかしの宿ゆうふり那須高雄温泉ロッジ(旧おおるり山荘) 那須町湯本212-486

 ※2021年8月31日に「おおるり山荘」は閉館しました。
  2025年10月1日に「ほったらかしの宿ゆうふり那須高雄温泉ロッジ」がオープンしました。

 露天風呂からは、雲がほぼ目線に見え、眼前はナイスビューです。
 鹿の湯の攻撃的な酸性に対し、中性の硫黄泉でやさしい湯です。
 源泉名「高雄温泉」。源泉名は湧出地の地名と同じです。ぬるいです。
 オーバーフローが「高雄湯乃川」となります。
 碑や灯篭を設けたりと、歴史を踏まえており感心します。

     

〇復興 御宿 富双江葉大馬 那須湯本十石(旧十石荘) 那須町湯本212

 「十石荘」が2006年10月末に閉館し、閉館後も、管理人さんが常駐、日帰り入浴に対応していました。
 「復興御宿 富双江葉大馬 那須湯本十石」が2012年3月11日にオープンしました。
 その後、閉館しました。

  

 旧十石荘での入湯記録です。雲がほぼ目線に見える立地です。
 源泉名「高雄」とシンプルです。おおるりより熱いです。
 「復興 御宿 富双江葉大馬 那須湯本十石」では、浴室を、高湯山信仰の行者が身を清めた
 「御行の湯」と命名しており、高雄股温泉の歴史を踏まえた対応に感心します。

    


辨天温泉 那須町湯本157

 天保年間(1830〜1843)に開発。
 「美多らしの湯 相の湯 鷲の湯 鷹の湯 河の湯 熱の湯」がありました。

    

<弁天温泉旅館 震災の爪痕> ※2020年4月、閉館しました。

 震災後、訪問した方々のネットでの記録を拝見していると、あれがない!これもない!
 露天風呂から見えた鐘楼、露天風呂上のたぶん弁天様が祀られている朱色の鳥居、内湯横の赤い橋、
 水車など、かつてそこにあったものが見あたりません。
 屋根の一部は、すでに土と化し雑草やらこけが生き生きと生え、古寺の雰囲気も漂っていた、
 呂風釜、呂風樽(「夫婦かめの湯」は左から読むのに、こちらは右読みで古かった)も見あたりません。
 震災で破滅したようで、残念です。「河乃湯」はよく耐えた!

 ご注意を
  那須湯本の老松温泉や、馬頭温泉郷の那珂川温泉旅館なんか論外って方は、ここもパスでしょう。
  カランの湯も温泉で(シャワーの穴が析出物で詰まり気味、湯が出ないカランもあったけど)、お湯重視の方はOKです。
  入浴の際は、注意点があります。析出物が鍾乳石みたいに見事です。
  見事すぎて、堅くとがっており、脱衣所の掲示に酔って入浴する人のけが人続出とあり、
  酔っていなくても十分危ないです。さらに成長していることと思うので、お気をつけ下さい。

     

     


北温泉 那須町湯本151

 元禄9(1696)年に発見、大高氏が管掌、その後、熊谷氏に帰す。
 「天狗の湯 温泉の湯 相の湯 河原の湯 瀧の湯」がありました。
 宝亀年間(770年頃)に大天狗(修験道の山伏)が発見したとの伝承があります。
 江戸時代は、源泉の岐路が多いことから「岐多温泉」と表記されていました。

<北温泉旅館>

 湯治場の雰囲気をよく残しています。
 風呂と風呂の移動は着替える必要があるのが少々面倒ですが、
 700円で十分すぎるほどの湯巡りを楽しめました。
 山の上から滝となって落ちてくる源泉が圧巻でした。
 入浴受付時間を過ぎても、次々と人が来ては券売機にお金を投じていました。

<遊歩道を歩いて到着>

 那須高原線(旧ボルケーノハイウェイ)から「北温泉」の看板を脇道に入ります。
 途中で解体・更地となった旭温泉の那須ハイランドホテルを通過します。
 車道は行き止まりとなり駐車場に出ます。ここは「駒止の滝」のビューポイントです。
 那須平成の森の開園に伴い、平成23(2011)年4月に「駒止の滝観瀑台」が整備されました(こちらで記載)。
 ここから先は徒歩で遊歩道を進み、400mで到着します。

   

 階段を上って玄関の引き戸を開け、中へ入ります。
 江戸時代からの建物もあり、さらに昔の展示物が多々あります。怪しい雰囲気も満点です。
 温泉券の自動販売機が不釣り合い的な存在です。帳場の横にパソコンが鎮座してるのも目につきます。

    

<温泉プール>

 遊歩道を歩いて来ると右手に「温泉プール」があります。
 ホームページの案内では「泳ぎ湯」ですが、泳いでいる人を見たことはありません。
 お湯を全部張ったら冷めるからでしょうね、温泉は4分の1ぐらいの張りでした(11月の訪問)。
 浮き輪が置いてありましたが、実際浅くて泳げませんし、浮き輪を使うまでもありません。
 ここで泳いだら「露天風呂で泳いでいる人がいた!」と話題になるでしょう。
 「泳ぎ湯」だから、もちろん「泳がないでください」の掲示はないし、泳いでもいいんです。
 すべり台付きの子ども用温泉プールもあります。
 こちらも浅すぎて泳げないから湯遊び程度です。
 男性は裸で入っている人がいるし、感覚的には混浴の水着着用の大露天風呂の印象です。

     

<館内>

 廊下は暗く、木造のためギシギシ音を立てて館内を巡ります。廊下は暖房と湿気でメガネが曇ります。
 迷路のようにどこになにがあるのかよくわからないのでくまなく歩きました。
 玄関先のいろりの前のテーブルに案内図が貼ってあったので、歩いた行程を頭に描きつつ案内図で再度風呂の位置を確認しました。
 本館には、内湯(男1 女1 家族1)と露天風呂(男1 女1)があります。
 本館の外には、巨大露天(混浴大人1 子ども1)、内湯(男1 女1)があります。
 その他、見るだけの「滝の湯」があります。
 玄関入って左手の「芽の湯」(女の湯)が女性専用の展望風呂です。

<河原の湯>

 男女別の露天風呂の「河原の湯」です。
 館内右手に進み通路の突き当たりのドアを開けます。
 意外にきれいな休憩スペースと窓越しに川の風景が目に入ります。
 景色は、川の上流には砂防ダムが威風堂々とそびえており興ざめの面もあります。
 下流の風景はなかなか「良し!」です。
 湯量はすこぶる十分です。

     

 外から河原の湯の小屋を後ほど眺めてみると内装の割に、外観は歴史の年輪を刻んでいます。
 サイトの説明によると明治時代に建てられています。

  

<相の湯>

 本館玄関脇の階段を下り、備付けの下駄に履き替え外に出ます。
 泳ぎ湯の横に小屋があり、ここは男女別内湯の「相の湯」です。
 明治の頃の建物とのサイトの説明どおり、木造の小屋は歴史の年輪を感じます。
 温泉分析書は、源泉名「相の湯」を掲示していました。
 鉄分を含んでいるため、浴槽の周りは赤くなっています。
 湯口からの湯量は申し分ありません。加水ありです。

    

<天狗の湯>

 「天狗の湯」は、以前は混浴でしたが、現在は日帰り時間帯は男性専用となりました。
 「天狗の湯」は脱衣所に仕切が暖簾だから通路から丸見えです。
 脱衣所の上を見ると天狗と札が目に飛び込んできます。
 内湯にはさらに大きな天狗があります。
 温泉分析書は、源泉名「天狗の湯」を掲示していました。相の湯より源泉温度が高いです。
 湯口からの湯量は嬉しいぐらい豊富です。

    

<不動の湯/ぬる湯>

 天狗の湯から外に出ると、
 「不動の湯」(打たせ湯)と小さい浴槽の「ぬる湯」(家族風呂)があります。
 その先には祠があり「鬼子母神」が祀られています。
 打たせ湯は、サイトの説明では、「不動の湯」とも言い、
 元禄4(1692)年に建立の黒不動をお祀りしてあるとのことです。
 打たせ湯はかなりの湯量で落ちて来ます。体に受ける湯圧がなかなか強いです。
 「ぬる湯」(家族風呂)は、こじんまりとした風呂です。

     

<滝の湯>

 「滝の湯」を見に行きます。
 露天風呂から見えた橋を渡り、山を少し登ったところから北温泉旅館の横顔の全景が見えます。
 ○で囲んだところが「滝の湯」です。不動の湯の上に「滝の湯」があります。
 源泉が山の斜面を奔流となって湯煙を上げながら駆け下りて来ます。
 圧巻、圧巻、圧巻です。
 源泉の口から溢れたお湯が山の斜面を滝の如く流れるところから「滝の湯」と言うそうです。
 あまった湯なので捨てているそうで(泳ぎ場に投入)もったいないぐらいの湯量です。

    


大丸塚温泉 那須町湯本269

 元禄4(1691)年に湯本の那須屋旅館の大高氏が3軒の小浴場を買収して蓬莱屋として開業しました。
 明治前半「櫻の湯、中の湯 相の湯」、明治後半「冷の湯、瀧の湯、櫻の湯」
 現在「桜の湯」「川の湯」「相の湯」「中の湯」「奥の沢噴気泉」

<大丸温泉旅館>

 標高1,300mに位置しており、雲の上とか、雲の中で、眺望悪い時が多いです。
 白土川がそのまま野天風呂となっている「川の湯」があります。
 雲の中で入る温泉が、川の源流だなんて、なかなかおつです。
 以下の画像は撮影禁止となる前のものです。

    

     

「川の湯(白樺の湯/あじさいの湯/あざみの湯)」
 一番下が「白樺の湯」、その一段上が「あじさいの湯」、3段目が「あざみの湯」です。
 さらに上流から、またツイタテの向こう「山ゆりの湯」(女性野天風呂)からドカドカ川(湯)が流れてきます。

      

 主力源泉「桜の湯」(2/3を大丸温泉で、1/3を御用邸で使用)は、ものすごい湯量のオーバーフローです。
 そうです、オーバーフローは川です。
 渓流を湯が落ちてきます。斜度が一番きついところは、ちょっとした瀧です。
 川底や側面のあちこちからも自然湧出多数で、こちらは源泉名「川の湯」です。
 「白樺の湯」には、湯泉大明神常燈がありました。

 影響を与える事項
  加水 なし ←川に加水なんて、ナンセンス。
  加温 冬期間、気温の低いときに加温 ←川を温めるなんて頭が下がります。
  循環ろ過 なし ←沼原発電所みたいに循環しますか。。
  塩素 なし ←川に塩素を投入してはいけませんね。

    

     

「新日本写真大観」(忠孝之日本社 昭和6年)、「大丸温泉旅館館内掲示」
 昭和初期の川風呂です。

   

「内湯」
 内湯「笹の湯」です。2つの湯船があり、かけ流しです。川の湯へオーバーフローしています。

    

「飲泉所」
 飲泉所があります。
 1リットル当たり、1日許容量を超える成分はないとの分析で、飲泉許可が出ています。

   

乃木希典将軍ゆかりの品展示コーナー」
 明治23(1890)年6月(乃木希典40歳)に大丸温泉旅館に泊まり、その後20年間ここを定宿としました。
 乃木希典将軍ゆかりの品展示コーナーに、ゆかりの品々が展示されています。
 3代目主人の大高市左衛門氏は、16歳の時(明治41年(1908)年)から夫妻が亡くなるまで赤坂の乃木邸に書生として勤めました。
 その時の回想文も掲示されています。

     

〇旅館ニューおおたか 那須町湯本269

 源泉名「相の湯」の掛け流し(加水あり)です。内湯も露天風呂も熱いです。

     

     

〇休暇村那須 那須町湯本137-14

 ※2025年7月1日〜2027年8月建替休館

 源泉名「相の湯・中の湯混合泉」、「加水、循環ろ過、塩素」。
 掛け流しではないものの、オーバーフローはしっかりしています。
 清潔でバリアフリーに配慮されているので一般受けする温泉だと思います。

 標高1,230mに位置しており、フロントに標高を尋ねると正確に標高を言ってのけて、感心しました。
 ちょっと上に位置する大丸温泉旅館が1,300m。
 日光湯元がいろは坂ぐんぐん登って1,480mで、ここはそんなに登ってきた感覚がないので
 1,230mとはちょっと意外です。

 露天風呂は、天候が良ければ良い眺望だと思います。太陽はこちらから昇るらしいです。

     

     


三斗小屋の湯(西湯)

 三斗小屋温泉は、康治元(1142)年に生島某が発見。三斗小屋の湯又は西湯と呼ばれていました。

 明治の頃の温泉案内書によると、明治半ばでの温泉宿は、
 「大黒屋」「三春屋」「生島屋」「佐野屋」の4軒(この時点で柏屋はなくなっています)が見られます。

  三斗小屋の湯では耕地を得られず、少し離れた三斗小屋本坪で穀菜等をわずかに作っていたとあります。
  少し離れたなんて記載されていますが、少し離れたなんて印象は全くありません。

  さて、問題です。
   問:これは何でしょう。左は三斗小屋本坪(宿)での写真、右は三斗小屋温泉での写真。
 

 

   答:ヘリポートです。
     今はヘリコプターで荷揚げしていますが、昔は、畑耕しに歩いていたんですね。
     ↑マウスでなぞると、答えが出ます。

<鉱山>(江戸時代〜明治)

 江戸時代は、会津藩や黒羽藩が採掘を試みて成果のなかった銀山が湯の西方一里にありました。
 明治に入ると、国営の三斗小屋金山が開発しますが成功しません(操業明治2年4月〜4年4月)。
 明治中頃に銅山が開かれました。
 金山と銀山の開発は成功せず、銅山はしばらく軌道にのっていたようです。

<三斗小屋の湯(西湯)>

 明治の分析では、「泉温55℃。多量の炭酸鉄を含む」とあり、「固形分0.718g」ですから単純泉。
 現在使用されているのは温泉みしゅらんによると、
  大黒屋1号源泉 57.3℃ pH6.9 総計0.72g
     3号源泉 41.7℃ pH6.4 総計0.47g
 明治の頃から、泉質は変化せず、現在に至っているということになります。
 
  熱い源泉(大黒屋1号)
   三斗小屋温泉神社のさらに上の「カラヤケ」が源泉地。
   温泉神社の上の登山道に湯導管が姿をあらわしているところがあり、
   触れるとパイプ越しでもかなり熱いです。
   煙草屋の余り湯では茶色の析出でここでもかなり熱いです。

  ぬるい源泉(大黒屋3号)
   源泉地は温泉神社の横のほうですが、ロープが張ってあり行けません。
   沢になるほどの大量の湧出量です。湯導管が数多く延びていきます。
   やや白く気持ち混濁気味。湯花の緑の藻が美しい。

  水源
   水源地立ち入り禁止の板とロープがあり、ここから水がひかれています。

     

    


○煙草屋旅館 那須塩原市板室910

 黒磯駅前から進出した後発宿ですが露天風呂があり人気です。
 内湯からオーバーフローが大量に流れ落ちていきます。

     

○大黒屋旅館 那須塩原市板室919

 三斗小屋宿からの登山道が終わると、太陽電池パネルが目の前にあらわれます。
 内湯のみですが、内湯の湯小屋の外観は、昔ながらの風情あるものです。
 歴史ある大地主の旅館で、御宝前の裏の源泉に、なぞの石碑があります。

    

 注意点
  両宿とも日帰り入浴はいたしておりません。
  煙草屋旅館で期間限定で日帰り入浴をやっていたので利用しました(2020年6月)。
  今回はポピュラーな峰の茶屋経由で行ってきました。
  記録はこちらにあります

三斗小屋温泉神社本殿(那須塩原市指定文化財)

 三斗小屋温泉神社の社殿が見事で必見です。近年改修され、社殿は真新しい鞘堂に覆われています。
 社殿の手の込んだ木彫りが目を惹きます。

 那須塩原市が、日光東照宮に比すると説明しているだけのことはあります。
 那須塩原市(旧黒磯市)の説明:
  「三斗小屋の温泉宿から東に約70m、石段を137段上ると三斗小屋温泉神社があります。
   社殿は一間四方の総欅造で、内部・外部の彫刻の見事さは日光東照宮にも比すると言われるほどです。
   日光東照宮の造営に携わった彫刻師が保養に来て造営にあたったという言い伝えもあります。
   上り竜と下がり竜で飾る柱、貫の先端の竜頭欄間や壁面の彫刻は善美を尽くした出来栄えで、
   相当の年月と費用を要したと思われます。」

 注意点
  三斗小屋温泉に行かれても、ほとんど顧みられていない神社ですが、
  忘れずに立ち寄ってほしいと思います。ほんとうに見事です。
   
    

     


○三斗小屋宿→三斗小屋温泉(行程)

 三斗小屋宿の探索を終え(こちらで記載)、時間あるし、山斗小屋温泉行ってみるかなぁ。
 でも、三斗小屋温泉へ行っても日帰り不可で、疲れるだけだしと思いつつ、
 昔は、三斗小屋温泉から、畑を耕しに、少し離れた三斗小屋温泉に来ていたわけだし。
 でも、待てよ、今は、ヘリコプターで荷揚げしているから、昔の温泉案内書は鵜呑みできないし。
 コース案内では行き80分、帰り60分とあります。
 目的地は三斗小屋温泉だけなので、足を踏み出しました。
 途中で息を整えること数度で、一気に登り45分で到着。きつかったなぁ。
 昔は少し離れた感覚で、畑耕しに来てたのかよ。

○復活した会津中街道

 白湯神社の鳥居を過ぎると、3又にでます。
 三斗小屋温泉へ向かう登山道(画像1枚目)と、新しく整備された林道(写真2枚目)、
 そして、有志により復活された会津中街道(松川街道)(写真3枚目)に出ます。
 平成21年7月有志一同掲示の説明板があります。(紙だから今もあるかどうかわかりません)

     

那珂川源流の碑

 三斗小屋温泉へ向かう登山道に進むと、那珂川源流の碑があります。
 ここから橋を渡って、三斗小屋温泉へ向かいます。

    

○畑耕しに三斗小屋の湯から、本坪へ通った道

 私は、これから往復の往路ですが、三斗小屋の湯の人たちは、この道を降りてきて、
 本坪でひと仕事終えて、帰る時は、往復の復路は、登り道ですよ!。
 また言いますが、少し離れた畑ではないでしょ、「離れた畑」でしょうよ。「少し」はとりましょうよ。 

     

    


板室温泉

 板室温泉は、康平2年(1059)に那須三郎宗重が発見。
 「塩沢の湯」として知られ、戊辰の役では灰燼に帰しましたが明治4、5年に回復。
 「塩沢」の由来は「石に塩歯の漂着たるに因る」(明治の温泉案内書に記載)。

 昔は、冬は閉めて人も引き上げて無人だったとのこと。
 日光湯元も冬は閉めていましたが、猟師が1名、留守番を任されていました。
 板室温泉は、白湯山信仰の拠点のひとつでもあり、賑わったようです。

   

悠仙閣加登屋本館> 塩原市板室859

 ※加登屋別館が2025年10月に休業となりました。

 国の登録有形文化財に登録されています(2016年2月2日)。
 震災前まで、一時期、日帰り入浴をしていました。
 現在は、代わりに加登屋別館が日帰り利用可です。

  2010/01/26『日帰り入浴』(加登屋のサイトより転記、現在は記載なし) 
  「悠仙閣加登屋本館の日帰り入浴が好評をいただいております。
  お湯は別館と同様、源泉100%かけ流し ph9.8強アルカリ性単純泉。
  加温、加水は一切ございません。
  趣のある大正8年築の古い建物で是非、プチ湯治をお楽しみ下さい。
  入浴料は500円です。
  近代的な設備は御座いませんが湯川沿いの景色をご堪能いただけます。」

 加登屋ですが、明治の温泉本には「角屋」と記載されています。
 大旦那に聞くと「あちらでなくて、こちらが角屋だからね」
 館内、大正時代にタイムスリップします。

     

 小さな2連内湯のみ、カランもひとつ、シンプルにかけ流し。カランも源泉です。
 小さな湯船の新鮮な湯が、肌にしみ入ります。

     

 温泉神社への参道への橋の手前右に小屋があり、湯導管が浴室に向かっていたので源泉小屋でしょう。
 板室8号源泉(室井・高根沢共有1号源泉)?、板室2号源泉?
 本館は、源泉地と源泉使用場所が至近距離というのも良いです。

    

○板室三大祈願所 

 「板室温泉神社」「篭岩神社」「木の俣地蔵

板室温泉神社> 那須塩原市板室876
 
 拝殿近くの一対の石灯籠は、弘化3(1846)年に大田原城主が寄進したもの。
 大田原城主、渋いですね。板室温泉に入湯されておられるのでしょうね。
 源頼朝、鎌倉公方、秀吉、喜連川公などなど、塩原湯元、那須、日光湯元に入浴されていますが
 大田原城主、渋いです、塩沢の湯(板室温泉)に入湯なされているのでしょうね。

     

篭岩神社(篭岩地蔵)> 那須塩原市板室地内

 東日本大震災の影響により篭岩地蔵の踊り場は閉鎖されています。
 一体だけ安全なところに安置されているので、お参りはできます。

(説明板)
「篭岩神社の由来
 篭岩神社は、山の霊岩霊石に神霊が宿ると考えた先人たちの建立した、山の神霊の石祠です。
 篭岩とは、岩肌のくぼみがあたかも篭の目のごとくに思えることから付けられた呼び名で、この霊石に神が宿っていると先人たちは考えたのです。
 篭岩神社に至る山道の右手には、岩穴に湯治客などが寄進した山の神の石像があります。」

     

     


旭温泉

 旭温泉は、朝日が良く当たるのに由来。源泉は地蔵の湯にちかいところにあります(未確認)。
 北温泉の熊谷旅館の支店があり、一度廃滅し、明治24(1891)年に再興されます。
 昭和39(1962)年に(←どちらか間違い)改築されて旭温泉那須ハイランドホテルとなります。
 2002年に閉館後、廃墟となっていましたが、建物は撤去され、更地になりました。

     

 源泉「旭温泉」は現役で使用されています。


茶臼瀧温泉

 明治の後期、那須9湯と呼ばれた時代は、「旭温泉」と「茶臼瀧温泉」がカウントされます。
 「茶臼瀧温泉」は、当時の温泉案内本には、大丸から2丁(218m)、北から16丁とあります。
 大正時代には2軒の旅館が「茶臼瀧温泉」として営業していますが地滑りで潰れます。

   

 一時期、黒田原温泉が引き湯していましたが、湯治場は廃業となっています。

 現在は、源泉「地蔵の湯」が「那須御用邸」と「町営那須いこいの家」(休館)に引湯
 (旭温泉・地蔵の湯・桜の湯混合泉)されています。
 「地蔵の湯」温泉源は、宮内庁が管理しており、立入禁止です。
 那須温泉史に記載の、地蔵の湯の由縁のお地蔵さまは、敷居が高く、見ることはできませんでした。
 那須御用邸の敷地の約半分が2008年に環境省に移管され、移管された敷地に三つの温泉源があり、宮内庁は今も温泉源を所管しています。
 「桜の湯」から温泉を引き、その管に途中から「地蔵の湯」と「旭温泉」の管をつないで混合泉としています。

  

那須いこいの家> ホームページ

 ※2023年11月29日源泉の濁りが発生したため休館、再開のための施設の大規模な改修の目途が立っていません。閉館となりました。

 日帰り入浴(10:00-16:00)は、町民外だと700円(町民500円)と少々お高くなります。
 御用邸と同じ温泉「旭温泉・地蔵の湯・桜の湯混合泉」を使用しています。
 湧出地は「那須町御用邸付属地内ほか」です。
 泉温38.0度とぬるいので、高温の「山楽No.1〜15混合泉」をブレンドして温度調整しています。
 「御用邸の源泉はぬるいので、山楽さんの高温の源泉をブレンドして
  温度調整しているんですよ。かけ流しのいい湯なんでまたいらしてくださいね」とのことでした。

     

   

<那須御用邸と源泉> 

 那須御用邸で使用している温泉は、大丸温泉旅館の主力源泉でもある高温の「桜の湯」を引き、途中から「地蔵の湯」と「旭の湯」の管をつないで、
 「旭温泉・地蔵の湯・桜の湯混合泉」を使用しています。
 那須御用邸到達時には適温で、山楽の高温の源泉はブレンドはしていないようです。
 那須御用邸の宮内庁職員宿舎の浴室は、東日本大震災時の被災者への開放で写真が出ていましたが、
 ごく普通の家庭タイル風呂、質素な風呂に、「え!?」でした。

 「旭温泉」 更地となりましたが、源泉は現役です。
 「桜の湯」 大丸温泉旅館の主力源泉です。
 「地蔵の湯」使用しているのは、那須御用邸と那須いこいの家(閉館)だけでしょう。

 大丸温泉旅館では御用邸でご使用の源泉と言っているのは、「桜の湯」を使用しているからです。
 山楽では使用源泉は御用邸と同じ泉質と言っています。

黒田原温泉 那須町寺子

 明治27(1894)年6月に黒田原温泉株式会社が設立され、
 大丸の源泉(旭温泉と地蔵の湯の混合源泉の模様)を、
 元黒田原駅前(現:那須町役場)の普門院(那須町大字寺子乙3967)脇の黒田原温泉まで、
 約18kmを9,120本の木管で引湯しました。

 湯治場は明治29(1896)年から明治39(1906)年まで営業しました。
 若松屋(現:足利銀行黒田原支店)、松野屋、木山田、大塩など7、8軒の旅館で賑わいましたが、
 木管(松材)の腐食・損傷で、会社は解散、湯治場は廃業となります。

 木管が、那須歴史探訪館(那須町大字芦野2893)に収蔵されています。
 黒田原温泉の木管は、蔵から出しておきましょうねと言っていただいたので、展示されているかも?

      那須町役場           普門院入口         足利銀行黒田原支店        那須歴史探訪館
     

【那須湯本】若松屋

 温泉会社の源泉リスクと観光資本家(小川功)によれば、
 若松屋(那須湯本温泉)と同一屋号の若松屋(黒田原温泉)は昭和5年時、池沢健蔵の経営で、
 黒田原温泉も湯本の池沢家の分店の可能性もあろうとのことです。
 その若松屋(那須湯本)も、廃墟になりつつあります。
 喜久屋旅館に並んで建っていましたが、解体され更地となりました(Googleストリートビューで確認)。

   

 【参照文献 那須歴史探訪館展示、「温泉会社の源泉リスクと観光資本家」(小川功)】


飯盛温泉

 大正9(1920)年に旅館新築、夏期のみ営業。昭和15(1940)年に雪の重みで倒壊しました。
 近くに誰かがこしらえた「膳棚の湯」があります。
 (高雄温泉から行き105分、帰り70分。弁天温泉からのほうが近い。)

 飯盛温泉跡はこちら

郭公温泉
 大正7(1918)年に発見。昭和4(1929)年に旅館開業。山崩れ雪崩のため建物崩壊。


八幡温泉

 明治23(1890)年に発見。明治43(1910)年4月に白戸川河岸湧出泉を引湯し旅館開業。
  
<一望閣(閉館)> 那須町湯本157
  「山楽源泉1〜15」と「八幡源泉」を使用しています。
  ※2016年11月5日営業終了。2017年1月〜改築・改装。2018年夏オープン予定でしたがオープンせず。

     


新那須温泉

 大正12(1923)年に山楽の創始者三井徳宝氏が新那須温泉を開発しました。
 山楽の源泉を使用している宿は多いです。


その他の歴史的経緯のある温泉>

○御宝前温泉(高湯山) 那須町湯本那須岳国有林

 御宝前(ごぼうぜん)の湯」は、茶臼岳西側8合目に湧出する高湯山/白湯山信仰の対象。
 寛文12(1672)年、野間村の行人、宋海(穴沢村出身)によって開基されました。
 野間村の名主大野六左衛門は、延宝元(1673)年8月、黒羽藩に白湯山大権現を拝所とする
 行山の許可を願い出て許され、白湯山への登拝が始められます。
 かつては行人で大いに賑わいましたが、現在は廃れています。
 御沢の両部ヶ滝の上流にあり、2連の滝の左岸は、温泉が滝になっています。
 詳細はこちら

大深掘温泉

 大深掘地区に戦後しばらくまで存在していた鉱泉が「大深掘温泉」です。
 那須検定に出題されることもあります。
 第1回検定に合格しましたが、知っていないといけないのかなぁ。
 大深掘温泉跡は未確認です。

<八幡温泉神社> 那須町高久丙2455

 大深掘地区の八幡温泉神社です。
 鳥居の扁額は「八幡 温泉 神社」とあり、八幡神社と温泉神社が祀られているようです。
 「大深堀用水路共有地開田記念碑」があります。

    

    

奥の沢温泉 那須町大字湯本字大丸奥の沢147

 奥の沢温泉は、昭和3年に開発。その後中断し、昭和56年に再開。
 現在は、新那須温泉供給株式会社が明礬沢右岸から、奥の沢噴気泉1号〜5号混合泉を供給しています。

 奥の沢温泉の中興記念碑があります。
 「奥の沢温泉の中興を記念して」(奥の沢温泉記念碑) 

    

 明礬沢の源泉地帯も自己責任で行きましたが、おとなしくなった殺生石とは対照的に、噴気活動はかなり活発です。
 白戸川近くの斜面からでも噴気が発生していて、この辺り一帯も噴気活動が活発な様子です。
 新たな殺生石といった印象を受けます。視線で全体を見るだけで一目散に退散しました。
 訪問は避けるべきと思うので、源泉地帯の画像は載せません。
 記念碑辺りからでも、明礬沢右岸の山肌がはだけているところを視認できます。

 私は無理しないのですが、一度だけ、命がけの入浴となった時があります。
 老松温泉喜楽旅館で浴室に向かって階段を降りている最中に、大きな地震!ほんと死ぬかと思った。

 1枚目 明礬沢を望む、右岸の山肌がはだけています   2枚目、白戸川でも噴気活動活発
   

硫黄鉱山跡 那須町湯本

 峠の茶屋の横の駐車スペースが、硫黄鉱山の精錬所跡です。
 「登山指導センター」が、鉱山事務所跡です。


戻る