〇 沼原発電所
〇 沼原ダム
〇 深山ダム
〇 森の発電おはなし館
三斗小屋宿
〇 三斗小屋宿へ(白湯山林道〜会津中街道)
〇 三斗小屋宿
三斗小屋温泉 別頁
白湯山 別頁
沼原発電所は、夜間電力を使って、深山ダム(下池)から沼原ダム(上池)に揚水し、
電力需要ピーク時に電力を供給する電源開発の発電所(67.5万kw)です。
栃木には他に東京電力の塩原(90万km)と今市(105万kw)に揚水発電所があります。
東日本大震災で、沼原ダムはひび割れ多数の被害を受けました。
震災後、ひび割れた沼原ダムの復旧作業のため、水を抜いて工事をしていました。
県道369号「黒磯田島線」が深山湖(那珂川)左岸を通っています。
深山ダムができる前までは踏み分け道で、馬を引いて山仕事へ行く人や三斗小屋宿へ行く人が通る道だったのが、
ダムができて立派な道(県道369号)となったそうです。
途中に木の俣地蔵堂があり、縁日には百村、穴沢、油井、板室などから大勢の参詣者があり、
また三斗小屋宿が盛んな頃は、三斗小屋宿からこどもを連れて参詣にやってきたとのこと。
なお、「黒磯田島線」は、現在は、深山湖上流部の深山橋から先は通行止となっています。
「深山園地」(こちらで記載)からの「深山ダム」の光景です。
○森の発電おはなし館(沼原発電所展示館) 須塩原市板室字滝ノ沢897-31 HP
J-POWERが運営する沼原発電所の展示館では、揚水式発電の概要などについて説明しています。
小さな施設ですぐに見学は終わります。
沼原発電所はこの地下にあります。
沼原から麦飯坂を経て三斗小屋宿へ至るのが会津中街道です。
深山ダム上流の深山橋に車で行き、その先の白湯山林道を進むと、そこから先が徒歩で、徒歩ルートでは最短となります。
深山ダム湖から「黒磯田島線」通行止め地点の手前で右(北側)の大川(白湯山)林道へ入ります。
全線ダート1.7km。湯川に沿って遡ります。
白湯山林道は、湯川橋のゲートで終点、閉鎖となります。
以前はチェーンだけだったのが、南京錠で施錠の厳重なゲートになっています。
鍵を持っている人しか車は通れません。
(三斗小屋宿には駐まっている車が多かったのですが、山菜採りの方々が帰ると車もかなり少なくなっていたので、
旧住民等の方々も鍵を持っているのかもしれません)
ゲートから歩いて10分ほどで分岐があります。ゲートのある直進方向の道は、発電所の取水口方向なので、
左手に戻る方向にあがっていきます。
さらに10分ほどで麦飯坂からの会津中街道に合流します。
合流点には、新旧2つの道標があります。
新しい道標には「上る 三斗小屋宿跡 経由 温泉」「右へ 麦飯坂 経由 沼原」
古い道標には「右ハやまみち 左ハ板室」(寛政五年六月吉日)とあります。
さらに15分ほど歩くと左手に六地蔵が何セットもある墓石群があります。
招魂碑「戊辰戦死若干墓」があります。
だれを供養しているのか明治のどの温泉本にも記載がありません。
三斗小屋大黒屋高根澤文五郎、百村名主月井源右衛門は敵への協力を理由に虐殺されているので、
住民もあわせて供養されているのかもしれません。
馬頭観音群があります。
三斗小屋共同墓地を過ぎると急に視界が開け、そこが三斗小屋宿です。
「会津中街道略図(板室〜大峠)
<深山ダム〜三斗小屋宿への道程>
湯川橋ゲート8:32 最初の分岐8:42 街道道標8:53 9:08墓石群 9:13三斗小屋宿
9:35白湯山神社鳥居 9:37会津中街道入口
<三斗小屋宿〜三斗小屋温泉〜帰路への道程>
9:45那珂川源流碑 10:00渡渉 10:07壊れかけた橋 10:26大峠分岐 10:28大黒屋
11:12山斗小屋温泉発 11:48那珂川源流 11:51白湯山神社
12:03お垢離場 12:07招魂碑 12:20麦飯峠分岐 12:40湯川橋
三斗小屋宿は、古い本だと三斗小屋本坪(又は下の宿や助小屋)とも記載されています。
三斗小屋宿では、白湯山信仰の大日如来、燈籠、鳥居、碑など数多く見られ、かつての賑わいが凝縮されています。
北那須ライオンズクラブによる修復のご尽力に負うところ大です(感謝)。
「白湯山石燈籠」(御神燈の銘)
「白湯山金燈籠」(遅沢村百人講中により白湯山へ献納、昭和30年大田原に移る。昭和53年返還)
「白湯山大燈籠」(白湯山の銘)
「石灯籠」(レプリカ)
「石像大日如来像」(頭部損壊修復)
「白湯山百人講中碑」「白湯山講」碑(平成11年)
「白湯山常夜燈」碑
「白湯山大鳥居」と「奉再顎碑」(写真撮り始めたら逃げましたが、猿の群がお食事中でした)
「鳥居復元記念碑」
(碑文)
「鳥居復元記念碑
元禄八年会津中街道の開削により白湯山信仰が盛んになった頃、表参詣口として三斗小屋宿に大鳥居が建立されました。
慶応四年戊辰の役で戦火に罹り頽壊し一部は苦土川崖下に転落埋もれていました。
明治の先人が渇望した歴史ある大鳥居の復元に着手し三ヶ年の期間を要し此処に完成しました。
平成十九年九月吉日
古より白湯山の大鳥居
くずれおちてし神額をば
復元されし永遠の礎に」
「白湯山神社」「白湯山神社鳥居」「白湯山神社石板碑」
「お垢離場」(水垢離の行をする垢離場が残っています。)
「三斗小屋宿跡」碑
(碑文)
「三斗小屋宿跡
三斗小屋宿は 三斗小屋本坪ともいい 元禄八年(一六九五)会津藩主松平正容が参勤交代路としてこの地に会津街道を開いたので宿場ができた
これにより 湯治客は年ごとに増加し なお 修験道の白湯山まいりが盛んになり信仰の地としてもさらに繁栄を加えた
このようにして一時は二四戸ものきを並べた宿場も明治元年の戌辰の戦災で全焼してしまった
復興はしたが交通事情が変わり だんだん減ってゆき明治四一年五月の大火でふたたび全焼(一四戸)してしまい その後 四戸残っていたが 昭和三二年 十二月八日最後の一世帶が転出して 無人の地となった
しかし いまなお街道や屋敷跡に宿場の面影を残し 道すじに並ぶ灯ろうや石仏は長い間の白湯山信仰の歴史を物語っている
また 戌辰戦争では 旧幕軍の攻防の重要な地点として 千人以上の兵が駐とんしていて激戦になった古戦場でもある
昭和五十七年四月吉日 建立 北那須ライオンズクラブ」
「史蹟の修復について」碑
(碑文概要)
「一、大石灯籠 文久二年四月北條村百人講の白湯山へ献上したもの 昭和58年10月修復
一、石灯籠 昭和59年10月修復
一、金灯籠 文政六年遅沢村百人講により一対建設したもの。台石は二基復元し一基は石造りにて新設 昭和60年10月
一、大日如来 寛文年中に建設その後火災のため東部破損し文久二年再建。かたむき修理復元 昭和60年10月」
「記念碑」
「栃木県那須郡高林尋常高等小学北校板室分教場三斗小屋仮教場跡」木柱
「広場」(ここから三斗小屋温泉へヘリコプターで物資を運んでいます。)
○復活した会津中街道
白湯神社の鳥居を過ぎると、3又にでます。
三斗小屋温泉へ向かう登山道(画像1枚目)と、新しく整備された林道(写真2枚目)、
そして、有志により復活された会津中街道(松川街道)(写真3枚目)に出ます。
平成21年7月有志一同掲示の説明板があります。(紙だから今もあるかどうかわかりません)
○那珂川源流の碑 那須塩原市板室
三斗小屋宿から、三斗小屋温泉へ向かう登山道に進むと、那珂川源流の碑があります。