Discover 栃木 温泉文化遺産(温泉文化史)
 
 那須湯本旧蹟

  ○ 殺生石
  ○ 教傅地獄
  ○ 盲蛇石
  ○ 山津波の碑
  ○ 聖徳太子像
  ○ 弘法大師社
  ○ 松尾芭蕉宿泊地
  ○ 安全祈願地蔵
  ○ 出来穴
  ○ 喰初寺
  ○ 那須温泉神社
  ○ 東公園
  ○ 那須高原ビジターセンター
  ○ 駒止の滝観瀑台


殺生石 那須町湯本

 元禄2(1689)年4月19日(新暦6月6日)、芭蕉たちは那須温泉神社参詣後に那須与一ゆかりの宝物を観覧。
 宿泊先の主人の案内で、「九尾の狐」伝説の殺生石を見ました。
 この日詠んだ芭蕉の句が殺生石の近傍に建立された句碑に刻まれています。
 「石の香や 夏草赤く 露あつし」と詠んでいます。
 俳人麻父の「飛ぶものは雲ばかりなり石の上」の句碑も建っています。

 平成26(2014)年3月に「おくのほそ道の風景地」のひとつとして国指定名勝となりました。

     

教傅地獄>

 教傅地獄の伝説があります。
 享保15年に建立された教傅地蔵尊があります。
 正面に座す地蔵尊の後ろが享保15年の教傅地蔵尊です。

    

盲蛇石>

 「昔、五左ェ門という湯守が大きな蛇に出会いました。
 大きな蛇の目は白く濁り盲の蛇でした。
 五左ェ門は、これでは冬を越せないだろうと小屋を作ってあげました。
 次の年、五左ェ門は蛇をさがしましたが蛇の姿はなく、かわりに
 湯の花がありました。湯の花の作り方を教えてくれたのでした。
 村人は蛇の首に似たこの石を盲蛇石と名付け大切にしたのだそうです。」
 (案内板より短縮して抜粋しました)

   


山津波の碑 那須町湯本181

(説明板)
「山津波の碑
 湯本は、安政年間までは現在の「鹿の湯」を中心として集落がありましたが、安政5年(西暦1858年)6月14日の夜降り続いた長雨の為、崖崩れによる山津波が集落を襲い家屋全戸損傷又は流失し、18名の犠牲者がでる悲惨な災害が起こりました。罹災後(50年後)慰霊のため有志によりこの碑を建立したものです。 那須町商工会湯本支部」

    


聖徳太子像 那須町湯本181

(説明板)
「聖徳太子像
 この石像は、湯元の有志が大正の初め那須温泉神社に石の「神馬」を奉納いたしましたが、その時太子像も同じ石で作られ湯元の繁栄と湯治客の安全を願って作られたものです。 那須町商工会湯本支部」

    


弘法大師社 那須町湯本181-11

(説明板)
「弘法大師社
 安政5年(西暦1858年)の山津波後、数十年過ぎたある日湯治に来ていた客が湯川の岸を散歩中に、河原の中で木彫りの大師像を見つけました。
 その像を畏敬し、当時の里人と浴客により、この地に社を建立し子孫繁栄と湯治客の病気快癒を祈願いたした社です。 那須町商工会湯本支部」

    


松尾芭蕉宿泊地 那須町湯本128

 松尾芭蕉が2泊した「湯本五左衞門宅跡」(東和泉屋)は、現在公民館が建っており、説明板があります。

(説明板)
「松尾芭蕉(46歳)が、弟子の河合曾良を伴い「奥の細道」の途中、元禄2年(西暦1689)6月4日高久の里より湯元へ向かい、湯元の五左衛門方に2泊ほどしましたが、この地が宿泊地跡です。
  湯を結ぶ誓いも同じ石清水 芭蕉
  那須町商工会湯本支部」

     
 
 参考「芭蕉の足湯」(廃止)

 芭蕉宿泊跡地にあることから「芭蕉の足湯」と名付けられています。
 湯川右岸に源泉があります(民宿ほりこしと民宿さとうの間)。
 元湯親湯会が利用している源泉で、湯量は豊富ですが温度がちょっと低く「滝の湯」の木升かぶり湯・カランに使用されています。
 源泉は勾配で湧出地からそのまま下って、湯川をまたいで滝の湯へ。
 滝の湯は「御所の湯」「かぶり湯源泉」使用と、ぜいたくな湯づかいです。
 その滝の湯のオーバーフローが芭蕉の足湯(冬は閉鎖)で利用されています。
 2011年4月に、配管や看板設置など工事があり(看板できてわかりやすくなりました)、オーバーフローではなく直源泉になったようです。
 その後廃止となり、看板も撤去されました。

     

安全祈願地蔵 那須町湯本181

(説明板)
「安全祈願地蔵
 安政年間まで湯本の集落は、この先の湯川の橋から殺生石の橋にかけて6橋6槽の景をした集落でした。
 このお地蔵さんは、旧湯本の玄関口にあり集落に出入りする人達の安全祈願をしたお地蔵さんです。 那須町商工会湯本支部」

   


出来穴 藤乃稲荷神社 寂師如来 (つつうけの宮) 龍神様 那須町湯本250

 那須湯本の湯川の川岸に「出来穴(できあな)」という洞窟があります。
 上は殺傷石に、下は喰初佛(くいぞうぶつ)に通じていると伝えられています。
 稲荷神社(民宿藤の屋跡)がその場所で、龍神様をお祀りしている「つつうけの宮」が出来穴の入口ですが、ふさがっています。

 出来穴は蝶の精のすみかだったと伝えられ、それにまつわる伝話があります。
 「その昔、狩りをしていた須藤権守貞信(藤原資家・那須氏の祖、父は藤原道家、母は源頼信の娘である。
  藤原道長の曾孫で祖父は歌人の藤原長家になる。)が蜘蛛の糸にかかり苦しんでいる蝶を助けた。
  そこへ蝶の精の美女が現れ貞信を洞窟内に案内し助けたお礼に人の翁が現れ
  一生に一度の大事な時に使うよう2本の矢を渡された。
  1本は貞信が九尾の狐の退治に使ったとされる。
  そしてもう1本は源義経に従軍し、元暦2年(1185年)の屋島の戦いで
  平氏方の軍船に掲げられた扇の的を射落とした那須与一(貞信から7代目)が使ったとされている。」

 穴の中には出湯があり、地蔵様が祀られていたといいます。
 湯本口から高湯山へ登拝する行者は、白装束で出来穴に籠もり7日7夜の斎戒沐浴を行いました。

(説明板)
「でき穴
 この地の湯川沿いの崖下に元「矢場」があり、「でき穴」と呼ばれる洞窟がありました。
 上方は殺生石まで下方の穴は喰初寺まで続いていると言われていますが、今は崩れて塞がり往時の面影はありません。現在この地の所有者が稲荷社を建立し御霊を鎮めています。 那須町商工会湯本支部」

     
  
     

つつうけの宮>

      

龍神大神/寂師如来>

    

   


東公園(とうこうえん) 那須町湯本

 いこいの家の裏のフェンスの切れ目が、東公園(とうこうえん)入口。

 放置状況の公園内には、立派な「東公園の由来」「那須湯本案内図」があります。
 昔は相当の賑わいだったとの説明。今は誰も来ないスポットとなっています。

    

   

 東公園歩道が整備されていて、東公園から老松温泉に至ります。
 誰も歩かないから、草茫々です。

    


那須高原ビジターセンター 那須町湯本207-2

 「那須平成の森」が2011年5月22日にオープンし、「那須高原ビジターセンター」が2011年11月13日に開館しています。

   

 展示室に温泉コーナーがあったのは嬉しいところでした。

     

 3本のビデオをしっかり見ました。でき穴の主人公が与一になっていたり、与一の愛馬「鵜黒の駒」が白かったり、
 矢が扇の的の日の丸に命中していたり(日の丸は畏れ多いので与一は扇の地紙でなく扇の要を狙いました)
 内容的には疑問でしたが、まぁわかりやすいからこれはこれで納得です。

    

 与一奉納の矢も実物の映像があって良かったです。

    


駒止の滝 那須町湯本

 那須平成の森の開園に伴い、2011(平成23)年4月に北温泉駐車場に隣接して
 「駒止の滝観瀑台」が整備され、駒止の滝をお手軽に見ることができるようになりました。

 「駒止の滝」は。余笹川の断崖に懸かる滝です。

 「馬も足を止めて見とれるほど美しい」
 「馬もこれ以上先は登れずに足を止めた」など
 名前の由来は諸説あります。

   


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