〇 お丸山
〇 鬼怒川温泉神社
〇 藤原町護国神社
・星藤太翁之像
・須永藤重郎翁之像
・根津嘉一郎翁之像
〇 「鳥獣魚介供養塔」「包丁塚」「タイムカプセル埋蔵碑」(星次郎町長)
〇 星ケ丘発祥記念碑(星次郎町長)
〇 戊辰の役殉難碑(星光ニ町長)
〇 日光市役所藤原支所
・藤原町閉町記念
・星藤太翁之像
お丸山山頂へは、花の山遊歩道が通行止めのため、ロープウエイでしか行けません。
山麓に鬼怒川温泉神社と護国神社があります。
文化11年の常夜燈があります。
扁額は八木澤善八氏の奉納です。
八木澤善八氏は 麻問屋とともに炭問屋を経営。明治21(1888)年に「麻屋旅館」を創業しています。
(説明板)
「鬼怒川温泉神社
主祭神 大己貴命(おおあなむちのみこと)・少名彦命(すくなひこのみこと)
例祭 四月吉日
境内地 三百坪
本殿 流造銅板葺
由緒沿革 創立は不詳、古老の口伝えによれば鬼怒川温泉宿地の温泉神社を現地に遷座。(温泉の守護神を祀る)
「湯薬の神は湯の神、温泉神」ともいい、温泉の霊力を神格化し崇敬され温泉神社が建立された。
鬼怒川温泉宿地の温泉神社を現地に遷座(温泉の守護神を祀る)
祭神には医療・禁厭の神とされている大己貴命・少名彦命が祀られている。温泉には不病を癒す効能がある為、全国より大勢の人々が浴湯を楽しむ。
御神徳 家内安全、身体健全、勝運
温泉神社 宮司」
太鼓は八木澤善八氏の奉納。
(説明板)
「藤原町護国神社
主祭神 藤原町英霊二百五十六柱命
例祭 四月十八日 八月十日(追悼式)
境内地 三千坪 旧社格 新設社
本殿 流造銅板葺
拝殿 流造銅板葺
由緒沿革 昭和二十八年十ニ月十八日創建、日清・日露の戦役により太平洋戦争に至るまで、藤原町より出征し護国のため戦場で亡くなられた二百五十六柱命を奉斎する。
(英霊の御霊安かれ)と名勝の地、鬼怒川のほとりに鎮座、その御威徳を顕彰し祭典を斎行する。
御神徳
家内安全、良縁、厄祓い、
護国神社 宮司」
星藤太は藤原村最後の村長、藤原町初代町長。
在任期間は明治39(1906)年4月から村長、昭和10(1935)年5月5日から町長、昭和21(1946)年11月までの41年を務めました。
鬼怒川水力電気下滝発電所建設の資材運搬軌道を地元資本が譲り受け、大正3(1914)年、藤原軌道株式会社設立。
大正4(1915)年、下野軌道株式会社に改組、大正6(1917))年に営業開始。
会社設立に大きく関わったのが、星藤太氏です。
大正14(1925)年に、藤原温泉で「星野屋旅館」を開業しました(明治2年に祖父が発見、明治12年3月浴場を設けていた場所)。
また、昭和2(1927)年に、鬼怒川右岸の滝温泉と左岸の藤原温泉をあわせて鬼怒川温泉と地名を変更しました。
昭和35(1960)年の国会への請願に須永藤重郎のお名前があり、
請願者の住所は栃木県塩谷郡藤原町滝五五八となっています。
星ケ丘発祥記念碑の碑文に星ケ丘開発のお一人として名前が刻まれています(こちらで記載)。
根津嘉一郎は、東武鉄道の創業者です。
昭和6(1931)年に、1000人規模の「鬼怒川温泉ホテル」を建設し、鬼怒川温泉の発展に大きく貢献しました。
(参考)「根津嘉一郎墓所」(こちらで記載)
日光市鬼怒川・川治温泉観光情報センターの脇に、
星次郎藤原町長が昭和50(1975)年11月に建立した
「鳥獣魚介供養塔」「包丁塚」「タイムカプセル埋蔵碑」があります。
〇鬼怒川・川治温泉 情報観光センター 日光市鬼怒川温泉大原1404-1
日帰り入浴のその日の状況が掲示されるようになっていました。感心です。
<きぬ姫>
鬼怒川公園駅前にある「星ケ丘発祥記念碑」は、星次郎藤原町長が建立したものです(こちらで記載)。
小原沢古戦場跡にある「戊辰の役殉難碑」は、星光二藤原町長(星のや旅館)が自費で建立したものです(こちらで記載)。
※閉鎖から解体されました。移転先:日光市鬼怒川温泉大原1406-2
「藤原村歴代村長・藤原町歴代町長/歴代議長」