芭蕉は湯殿山御宝前で、この句を詠んでいます。
感涙のあまり袂をぬらしてしまうほどであると解されています。
私も、湯殿山に行くまでは、そのように解釈していました。
しかし、御宝前の御神湯を身をもって体験すると、
芭蕉が泪している光景は全く思い浮かべることができず、
違う理由で袂をぬらしている光景がありありと目に浮かびます。
そして、銭ふむ参道では、手をつくことができないことが伏線として、一層感動します。
温泉好きとして、別の解釈にたどりつきます。一石を投じたい。
私の湯殿での芭蕉へのイメージです。
例えば、芭蕉が御神湯を口に含んだ記録はありませんが、
否定もできないこと等を以下、イメージしています。
(芭蕉)
曽良よ、神聖な湯殿、杖は置いていけ、裸足になれ、御神体に手をついて!お参りされよと、驚きだ。
では、私が先に行くぞ、私が転げ落ちたら受け止めてくれ。
(曽良)
参道では「湯殿山 銭踏む道の 泪かな」と詠んだように、手をつけないけど、
湯殿でも手をつけるなと言われたら、私、転げ落ちますよ〜、
でも、私が後ろだから、師匠を巻き添えにすることはありません。
師匠が落ちてきたら、受け止めますが、湯殿から手を離した瞬間、一緒に落ちますよ。
(芭蕉)
湯殿は裸足になって、温泉が流れ落ちてくる御神体の岩の御宝前に登るなんて、とにかく驚き!
湯殿の御神体の登りはじめが少々険しい!御神湯に足をとられて、裸足だからすべり落ちそう。
転げ落ちないように、湯殿の御神体にしっかりと右、左と交互に手をついて、裸足で登っていくのだ。
裸足の裏と、手の平に御神湯が「熱っ、熱っ」と直に伝わってくる。
冷鉱泉ではなく、想定外の高温泉だ。
足湯と手湯を同時にしているもんだから、全身を巡る血液によって、全身がぽかぽかする。
御神湯に全身浴しているのと同じ、夏に温泉に浸かっているわけだから、熱くなってきた。
曽良よ、銭ふむ参道では、手をつくことはできないけど、
御宝山は、御神体に手で触れることができるのだよ、なんとも泪もんではないか。
(曽良)
参道で、もう泣いていたもんだから、泪が溢れれてとまりません、師匠。
それに、師匠の袂から滴る御神湯が、私の顔面にたれて、自分の泪と御神湯で、顔面ずぶ濡れです。
(芭蕉)
湯殿を流れ落ちていく湯に、手をついた湯殿に接した袂を濡らすこと、濡らすこと、
両方の袂が、湯殿の御神湯にずぶ濡れで、ありがたや、ありがたや。
湯殿に素足で登り、湯殿の御神湯が袂を濡らし、なんとも感動的なことよ。
(芭蕉)
湯殿を登りきると、手をつかずに立つことができるんだね。
御宝前を目の当たりにすると、噴泉塔だ!
噴泉塔ができるまでには神代の年月が経っていることを考えると、これまた感動ものだなぁ。
湯殿に素足で接し、両方の袂から御神湯がしたたり落ちていくよ、改めて感動!
泪が溢れでてきた、袂は御神湯でずぶ濡れだったので、温泉の塩分で目に滲みるし、泪は袂で拭わないよ。
泪が御神体に落ち、御神湯と一緒になって、流れ落ちていったよ。
濡れた袂からしたたる御神湯を味見したら、鉄味で、塩味だ。
湯殿を後にしてから、濡れていた袂が乾くと、赤く染まっている、湯殿の御神湯はなんとも力強いなぁ。
湯殿を後にしてからも、赤く染まった袂を見ると、感動が甦ってくるよ。
語られぬ湯殿なので、御宝前そのものの形については語られないけど、とにかく感動した。
「語られぬ 湯殿に濡らす 袂かな」この句に、この感動をすべてこめた。
湯殿をお参りした人は、この句から、私の体験した光景を思い浮かべ、
自分の体験が鮮明に脳裏に甦ってくること必定、良い句ができたよ。
<解説>
芭蕉の、この句にこめたもうひとつの真意を感じます。
曽良が参道で「湯殿山銭ふむ道の泪かな」と泪していますし、
芭蕉が「袂をぬらす」と詠んだので、古来から感激に涙すると解釈するのが当たり前と思います。
御宝前を見てない人は、感激に涙したんですねと確信するでしょう。
しかし、湯殿の御宝前を見た者は「語る無かれ」、見てない者は「聞く無かれ」の戒律があるので、
御宝山はこんな形していて、てっぺんの噴泉塔から熱い御神湯があふれ出ていて、
御神体と御神湯に直接触れた感動を、袂が濡れると表現したと芭蕉は語れません。
でも、泪で袂は濡れなかったけど、実際、泪したでしょうから、そう解釈してもらっても完成している句だし、
そう解釈されるであろうことも、芭蕉は想定して、推敲に推敲を重ねて詠んだ句だと思います。
だから、それはそれで良いと芭蕉は思っていたと思います。
御宝前をお参りした人なら、別の解釈をして、芭蕉の感動をわかちあってくれると確信していたと推測します。
曽良は、御宝山の感動を、語る無かれの戒律の中、どう伝えようか悩みに悩み、
御神体に手で触れてお参りする湯殿のことは言えないもんだから、
参道では手をついてはいけないと詠んで、御宝前の感動を婉曲に表したと解釈します。
曽良は、那須湯本で、源泉を探索、源泉の湧出量や湧出地、泉温を記録しています。
6カ所すべての温泉を調べています。実に温泉マニアですね。
「以上湯数六ヶ所。上ハ出ル事不定、次ハ冷、ソノ次ハ温冷兼、御橋ノ下也。ソノ次ハ不出。ソノ次温湯アツシ。
ソノ次、湯也ノ由、所ノ云也。」
6湯とは、行人の湯、鹿の湯、御所の湯、滝の湯、中の湯、河原の湯です。
また、奥の細道では採択されなかった「湯をむすぶ誓ひも同じ岩清水」をしっかりと日記に記録しています。
那須湯本の温泉に手をつけて曽良も感動したはずです。湯殿の温泉に手をつけた感動は、この比ではないはず。
温泉マニアの曽良が、那須湯本でこれほど源泉の素性を語っているのに、湯殿の温泉の素性は語れない。
温泉マニアの曽良がとる行動は、御神湯に手を触れて(手を触れないと登れないんですけれどもね)
泉温を確認、湧出ポイントと湧出量も確認、味見もしているはず。
芭蕉は袖が濡れたと詠んで、手をついたことを暗示しましたが、
曽良は、手をついて、御神湯が手を伝わっていく驚きと感動を、参道では手をつけないと詠むことによって、
温泉好きの私には、湯殿には手をついたんだよと、温泉マニアの曽良の驚きと感動が伝わってくるのです。
名句と感じます。曽良の真意はここにあると感じます。
湯殿を見てない者にとっても、湯殿をお参りした者にも、解釈は違っても、
それぞれ違った解釈でも、曽良の句と連動していて、感動を感じる良い句と思います。
温泉好きとしては、この句からは、芭蕉が湯殿の御宝前をよじ登って袂を濡らす光景が浮かぶのです。
泪を袂で拭ったりしたら、さぁ大変、湯殿から手を離した瞬間、湯殿から転げ落ちてしまいますよ。
前のめり体制では、泪は湯殿に接している袂には落ちません。
御宝前に登る前、登って立った時、下りた時の直立の姿勢で手がふさがっていなければ、袂で泪を拭えます。
しかし、登る前に感動がクライマックスに達するはずはないです。
湯殿の頭頂に至り、その正体と全体を見渡した時が、泪するクライマックスでしょうし、泪したでしょう。
また、登り切った時と、下りた時は、袂が泪に濡れる前に、すでに御神湯でずぶ濡れになっています。
温泉好きとして現地を体験すると上記の解釈に至りますが、
従来の解釈ではなく、この解釈のほうが正しいと密かに自信を持ちます。
温泉好きの方々、ご賛同いただけますかね?
温泉の神様の御朱印に大満足 撮影禁止ですが、パンフレットには御宝前の一部が写っています。。。
〇 口之宮湯殿山神社
・旧本道寺代参塔群
〇 不動院跡と五色沼(湯殿山碑/芭蕉句碑)
〇 湯殿山有料道路
〇 仙人沢
・即身佛修行之地
・湯殿山参籠所(丹生鉱泉御神湯風呂)
・玉姫稲荷神社
〇 仙人沢から本宮入口参道までの舗装道
・黄色いラインの歩道
・本宮参詣バス
・御沢橋/御沢駈
・血の池権現 丹生水上神社
〇 湯殿山のご由来
〇 湯殿山神社本宮
「湯殿山大権現に通ずる本道とならん」と弘法大師が宣って開基したと伝えられる本道寺。
神仏分離令により本道寺は寺号を返上し、湯殿山神社となっています。
国道112号線に面して、大日堂跡に「本道寺代参塔群」があります。
文化財の説明板には、下野国の那須郡、塩谷郡、河内郡の文字が見えます。
代参は、信者が本道寺に寄進し、本道寺が、信者に代わって湯殿山へ代参祈願するものです。
信者は御札(御祈祷札)を受けます。
本道寺では信者に対し、毎年山先達を出張させて、御守札(御祈祷札)を配っていました。
栃木の接骨木の導心寮(接骨木公民館)が、まさにそれです(別途記述)。
(説明板)
「西川町指定文化財 旧大本道寺代参塔群
平成十八年十二月二十八日
湯殿山信者が諸願成就のため、多額の金銭を別当寺に寄進し、住職に代参を依頼する信仰形態があった。その際、寄進額の一部にて建立されたのが代参塔である。
代参は毎月、住職が本道寺内にて祈祷し、湯殿山御宝前へは先達修験を遣わして参詣させ、信者には「湯殿山御守札」を配布した。
代参塔群の建立は十八世紀後半に集中しており、境内には七基が確認されている。寄進者は栃木県の那須郡、河内郡、塩谷郡や福島県の安達郡の講中であるが、西川町吉川の松田長左衛門もその一人である。
湯殿山永代日御供田寄進」は那須郡の百か村にわたる三二七名が、安永五年(一七七六)、金八七両(供田五五両、石碑・開眼供養料二七両、御守札等五両)を寄進し、毎日の代参を依頼したものである。
西川町教育委員会」
(説明板)
「不動院跡と五色沼
五色沼辺には巨大な不動明王像(像高2.7m)と大日如来像(像高2.4m)が祀られていた。
両像ともブロンズ像で、江戸時代の中頃に福島県の信者が寄進したものであったが、明治初年の廃仏毀釈によって取り払われた。
境内には、「湯殿山」(嘉永5年[1852])「光明真言五百萬遍供養」(文政5年[1822])「二千日行
明海」(安政2年[1855])「芭蕉の句碑」などの石碑、さらに五色沼には「弁天様」が奉祀されている。」
<芭蕉句碑>
「雲の峰幾つ崩れて月の山」
<五色沼と弁天様>
湯殿山参籠所へ向かう湯殿山有料道路の料金所の手前に
「湯殿山宿舎ゆどのやま」(平成23年に「湯殿山ほてる」→「湯殿山宿舎ゆどのやま」)があります。
2011年の雪害で休業中です。2018年に閉館となりました。
庄内交通が運営する湯殿山有料道路です。
料金所で、往復通行料と駐車料の400円を支払います。
自主規制速度30km標識です。
有料道路の終点は、大鳥居(高さ18m。平成5年(1993)10月竣工)が建つ仙人沢です。
軽の郵便車は登っていきましたが、一般車で上れるのはここまでです。
湯殿山の行者が、仙人沢を入定の場としました。
石碑「即身佛修行之地 湯殿山仙人澤」
(説明板)
「由来
湯殿山は出羽三山の奥の院として明治の初めまで神佛習合の霊山として栄え此処、仙人沢は木食行人(一世行人)修行の霊地でありました。
庄内地方にある即身佛六体
眞如海上人 大日坊 朝日村大網
鉄門海上人 注連寺 朝日村七五三掛
本明海上人 本明寺 朝日村東岩本
鉄龍海上人 南岳寺 鶴岡市
忠海上人 海向寺 酒田市
円明海上人 海向寺 酒田市
は、皆湯殿山仙人沢に於て五穀を断ち十穀を断って厳しい修行を重ね衆生済度のため挺身された尊い方々であります。最近この霊場、湯殿山仙人沢の信仰史蹟を広く顕彰して欲しいとの要望がある矢先、映画「月山」に於てミイラ像を作製した御縁で鶴岡市出身医博秋山太一郎氏より模擬像の奉納がありました。奇特の至りで湯殿信仰を物語る貴重な資料であります。 湯殿山本宮」
平成17(2005)年に開山1400年を迎え、本宮境内に「御神湯の足湯」が設けられました。
また、仙人沢の参籠所内に「丹生鉱泉御神湯風呂」が設置されました。
浴場が一般浴室と御神湯と2カ所あり、最初は一般浴室に行ってしまいました。
一般浴室は、浴槽内へのお湯&水の蛇口の先の浴槽内と、循環湯口の先は、微妙に赤茶色に染まっており、
温泉ではないのでしょうが、鉄分含むただの水ではないようです。
<飲泉所>
一番階下の御神湯へ行きます。
丹生鉱泉御神湯風呂は、丹生水上神社から湧出する源泉を引いた御神湯です。
源泉名「湯殿山仙人澤温泉丹生水上神社源泉」
含二酸化炭素・鉄(U)−ナトリウム・カルシウム−塩化物・硫酸塩温泉
「丹生」とは水銀を意味し、分析書の微量成分には水銀の記載があります。
飲泉所で飲泉します、炭酸がきいて、鉄味で、マズい!です。
本宮境内「御神湯の足湯」の分析書も掲示していました。
源名名「出湯大神源泉」。13.690gの強塩高張泉です。
<御神湯/社殿と賽銭箱>
湯船は、加熱源泉投入のかけ流しです。
浴室内に社殿が設けられ、賽銭箱も設置されています。
浴室内に神社が祀られているのは度々目にしますが、賽銭箱は初めて見ました。
(説明板)
「丹生鉱泉御神湯風呂の由来
源泉 丹生水上神社
御祭神 丹生都日女神
ここ湯殿山参籠所より湯殿山神社本宮に向かう参道には十数社の御末社が鎮座しておりますが、内一社に水の神様であります丹生水上神社がお祀りされております。古来丹生鉱泉と称し、源泉温度十八度の炭酸鉱泉が今でも滾々と湧き出ており、全国よりご崇敬を頂いている信仰の証、象徴として、御本宮の御神湯と共にご参詣の皆様より用いられておりました。また、昭和に入りましても鉱泉の近くに岩清水小屋が営まれ、参詣者に丹生鉱泉のお風呂と山菜などの山の幸を提供しており、最近の調査でも、婦人病、胃腸病、糖尿病、肥満症などの効能が認められています。
平成十七年は、湯殿山御開山一四〇〇年の佳年に当たり、大神様の更なる御神徳の宣揚を計り、益々世の人々の幸せを願い、この故事に因(ちな)んで丹生鉱泉御神湯風呂を新設いたしました。
ご参詣の皆様には心静かに御神湯に浸り、湯殿山大神様のご加護のあらんこと、御力を頂戴されますことを念じる次第であります。
◎ご利用時間 午前十一時〜午後三時 午後五時〜同九時
@御神湯風呂は神様の御神湯に入り、心身共に大神様の御神徳を頂くことを旨としておりますので、浴室内には湯船と神棚があるだけです。洗い場、シャワー等の設備はありませんのでご了承ください。
A掛かり湯をしてから入りください。
B湯船は一度に七、八名が入れるほどです。
C飲酒後の入湯はご遠慮ください。
※ご利用時間以外は一階に通常の二十四時間利用の浴室もございます。
※入浴に適した温度に保つため加温しております。」
湯殿大神に願掛けする人は、まず仙人沢の玉姫稲荷にお参りするという習わしがありました。
昭和61年造営の社殿の裏にある石柱が元の本社と思われます。
(説明板)
「玉姫稲荷神社の由緒
玉姫稲荷神社は、此処仙人沢の霊域に於いて、即身成佛の修行に挺身された鉄門海上人が守り神として帰依され、その御守護を得て成佛されたとのいわれにより湯殿大神に願掛けする人は、先ず玉姫稲荷にお参りし、その霊験におすがりし、そのおたすけを頂いて本願を達成するという、習わしがありました。
初めは、石柱を憑代としておりましたが昭和61年神社の御神木を以て社殿を造営し又、信者の寄進により鳥居も建立され、御社頭一新の整備を見ました。
玉姫のみいづかしこむまめ人が祈る真心嘉し給へと 春岳」
本宮参詣バスが走る道路には歩道の印として黄色いラインが引かれています。
本宮入口参道までは、仙人沢から本宮参詣バスで5分ほど(片道200円、往復300円)です。
徒歩だと庄内交通の説明によれば30分、案内板だと20分。
行きはバスに乗り、帰りは歩きました。
帰りは、茶色の水に手をつっこんだり、味見したりしながら下りました。
15分ほどで仙人沢に着きました。
「御沢駈」は、梵字川にかかる御沢橋手前の右手にある「常世久那戸姫神社」が入口です。
神社が多くある「御沢駈(おさわがけ)」は立ち入り禁止となっています。
御沢橋には、湯導管が見えます。源泉「丹生水上神社」の湯導管でしょう。
「剣の権現 剣神社」「仙人権現 天神社」「薬師如来
薬師神社」「優婆権現 常世岐姫神社」「梵天帝釈両部の大日大霊権現 産霊神社」
舗装道沿いにあった末社です。
血の池とは、鉄分で赤くなった鉱泉の色からみたてたのでしょう。
湿地になっていて、流れ落ちてくる水に手をつっこみますが、冷たいです。
味見すると塩辛くはありません。
塩辛い御宝前の湯とは別脈ということでしょう。
すぐ近くの「姥権現」からも赤茶色の水がしみ出ていました。
ここから下方の御沢橋の手前に、茶色に染まる鉄分を帯びた滝が流れ落ちています。
手をつっこむと冷たいです、味見すると塩辛くはありません。
(説明板)
「湯殿山のご由来
御祭神 大山祇命(おおやまづみのみこと) 大己貴命(おおなむちのみこと) 少彦名命(すくなひこなのみこと)
出羽三山とは、月山・羽黒山・湯殿山の総称で推古天皇元年(593)、第三十二代崇峻天皇の御子である蜂子皇子様の御開山である。皇子は、蘇我氏の難を避け、京都の由良から海路を経て、出羽国庄内浜の由良に入られた。そして三本足の霊鳥の導くままに羽黒山に入り難行苦行の末、羽黒山上に羽黒権現の御示現を拝し、次いで、月山、湯殿山を開き、両神を羽黒山に勧請して羽黒三所大権現と称した。
その後、皇子の御徳を慕い、加賀白山を開いた泰澄上人や修験道の祖と言われる役の行者、また真言宗の開祖弘法大師、天台宗の開祖伝教大師とその弟子慈覚大師なども来山して修行をしたとも伝えられている。こうして皇子修行の道は次第に発展して羽黒派修験道となり、全国に名を知られ時代を重ねるにつれ、人々の厚い信仰を集めることとなった。
此処、湯殿山は、推古十三(605)の御開山とされ、出羽三山の総奥の院として特に厚い信仰を集めてきた。江戸時代までは真言宗として奉仕してきたが、明治維新に際して神仏分離(廃仏毀釈)が発令され、古への神奈備山にかえり神社として奉仕している。
殊に出羽三山信仰は「三関三度」(さんかんさんど)や「擬死再生」(ぎしさいせい)など、生まれ変わりの信仰が今も尚息づいている。羽黒山で現世利益の御神徳に与り、月山の大神の下で死後の体験をし、慈悲深い湯殿の大神より、新しい生命を賜って、再生すると考えられる。
特に湯殿山での修行は三世を超えた大日如来を本地仏とする大山祇命・大己貴命・少彦名命の霊験により、神仏と一体になり即身成仏を得ることが出来るとされた。また湯殿山本宮では、御神体を目の当たりに拝し、直に触れてお詣りが出来る御霊験の有り難さより、俳聖松尾芭蕉も「語られぬ湯殿にぬらす袂かな」の句を残された、古来「語るなかれ」「聞くなかれ」と戒められた清浄神秘の霊場なのである。
ご参拝について
・参拝バスを降り、湯殿山神社本宮参道入口より徒歩五分(約百メートル)
・本宮入口で素足になってお祓いを受けてから御神前に進みお参り下さい。
御祓料 五〇〇円
※本宮内はご由緒により撮影はご遠慮下さい。」
本宮参詣バスを降り、本宮参道入口より約100mで本宮です。
月山への登山道への途中に芭蕉と曾良の句碑があります。
芭蕉句碑「語られぬ 湯殿に濡らす 袂かな」(昭和30年(1955年)10月建立)
曾良句碑「湯殿山 銭踏む道の 泪かな」(昭和39年(1964年)10月建立)
芭蕉句碑の左側面には「再興」と刻んでありました。
さて、御祓場の横の小屋で素足になり、御祓料500円を納め、
紙の人形(ひとがた)とお守り札「湯殿山神社御祓守」を渡されます。
御祓いを受け、紙の人形(ひとがた)で、自分で体をなでて身の汚れを人形に移し、
人形に息を吹きかけ水に流します。
本宮へ入ることが許され、曾良「湯殿山 銭踏む道の
泪かな」の道を進むと、御宝前。
御宝前の左から回り込んで背後に行くことができ、御宝前の湯の湧出口を見ることができます。
「右側通行です!階段は帰り用です!」と、社務所の方が声をかけ交通整理しています。
熱い湯が足に伝わります、味見すると塩辛く+鉄味です。
頭頂から熱い源泉が湧出し、茶褐色の噴泉塔です。
御神体に触れたりすることは禁じられているのが一般的ですが、
ここでは、御神体に素足で登ったり、味見したり、背後から湯が湧き出る様子を見たりできるとは
感動ものです。
写真撮影禁止なので撮れませんし、御宝前の形状は語れません(それなりの理由が。。)
出羽三山神社のパンフレットには茶色の御宝前の一部が写っています。
庄内交通の通行券には、御祓所の写真が掲載されています。
湯花を乾燥して粉にした「おあか」が500円で売っていました。
御朱印を求めました(300円)。
お参りがすむと「湯殿山出湯大神足湯」(源泉名:出湯大神)があります。
浴槽が二つ。下の浴槽は上の浴槽のオーバーフロー。
出湯大神の石碑のところから源泉投入。味見すると塩辛く+鉄味。
御神体での自然足湯のほうが感動ものでした。