足の神様であり、足の諸病、健脚、旅の安全を願う神様。
人力車組合と関わりが深かった印象を受けます。
〇 足尾山
那須町寄居大久保
〇 足尾大神
那須町芦野
〇 足尾神社
那須塩原市宮町
〇 足尾大神
那須塩原市関谷
〇 足尾社
大田原市南金丸
〇 足尾山大神
大田原市薄葉
〇 足尾山
日光市西川
〇 足尾神社
那珂川町馬頭
〇 足尾権現
那珂川町谷田
〇 足尾大権現堂
宇都宮市田下町
〇 足尾山神社
千葉県我孫子市中峠
〇 足尾山大神
埼玉県加須市土手(千方神社)
その他 別頁
〇 足尾山神社
栃木県真岡市東郷
〇 人力車発明紀念碑
東京都台東区谷中(長明寺)
〇 秋葉商店(製造)
東京都中央区銀座
足尾山 別頁
〇 足尾山
大岩寺 茨城県石岡市小屋
〇 足尾神社
一の鳥居 茨城県石岡市上曽
〇 足尾神社
里宮 茨城県石岡市小屋
〇 足尾神社
本宮 茨城県石岡市小屋
〇 足尾神社
奥宮 茨城県石岡市小屋
旧奥州街道沿の寄居大久保にある足尾山碑です。
「足尾山 旅行安全 郡山宿 海老屋治右衛門
從是江戸四十五里五丁」
「文久元(1861)年」
郡山でも足尾山信仰があったのですね。
「箱根権現躄仇討」の主人公が、勝五郎と初花です。
勝五郎はここで足を病み、足の直るのを待ちました。
その時に瓢を彫り、初花が使った清水が初花清水とのこと。
(説明板)
「初花清水と瓢石
いざり勝五郎 車にのせて
引くよ初花 箱根山
これは那須町近在の田植え歌であり、盆唄であり、追分でもあり、誰もが知っていて、唄った歌である。また、酒宴の興にのって、中村歌右衛門もどきのこわ色をはりあげて、
「ここらあたりは山家故、紅葉のあるのに雪が降る」
という、いまでこそ知る人もすくないが、ラジオもテレビもない明治から大正の、なつかしくも忘れがたい「初花」のせりふである。
「いざり勝五郎」―歌舞伎名題「箱根霊験躄仇討」という芝居は、寄居大久保にも深い関係があって、わが里には、ことさらに近しく親しく迎えられたのである。
奥州街道はこのあたりさびしい山道である。暮れかかる崖下の道辺に旅の男がしゃがみこみ、女がおろおろとしていた。
山仕事を終えて帰る人が、これを助けて寄居の里へ連れてきてやり、庄屋徳右衛門に事情を話してあずけた(『芦野小誌』には大島四朗平とある)。
飯沼勝五郎その妻初花といい、兄の仇を求めて旅を続け、棚倉から豆沢を経て来たのだ、箱根権現に願かけて、どうしても仇討をとげたいのだといったが、駆落者ではないかとも思われる―徳右衛門は、しかしせんさくはしなかった。
勝五郎は、足腰が立たなかった。これでは江戸を過ぎてもまだはるかな箱根にはとうてい行けないだろう。徳右衛門は、大久保の先のところに小屋を建てて二人を住まわせてやることにした。ここなら街道往来の旅人が見える。もしかしたらその仇が通るかもしれないと、二人にも話した。二人は鍋かまを借りて、ここに住んだ。たべ物は少しずつだが、山働きの里人たちがとどけてくれた。
崖のすみから、きれいな清水がわいて流れていた。
初花は勝五郎の回復を日夜、神仏に祈った、が―思うようではなかった。
足腰が立たない勝五郎は、初花が、御礼かたがた徳右衛門方へ仕事の手伝いに行っている間、たまに通る旅人の中に仇を求めながら日を過ごした。手もち無沙汰になると、すわった岩に小柄で無心に瓢を刻んだ。大小さまざまの瓢が、道の面や崖の岩肌に紋様のように彫られた。
わき出る清水で洗う初花の顔はきれいで美しかった。
往来の旅人からは仇は見つからなかった。
勝五郎、初花は、ここを旅立つことにした。
徳右衛門も、それがよかろうと、勝五郎のために箱車を作ってくれ、小金もわずかだが初花にくれた。「わしは四朗兵衛の下司下郎。よなべに作ったこのわらじ。足が立ったらはかしゃんせ(義太夫の語り)」と、大島四朗兵衛は、わらじを勝五郎に贈った。
二人は深く礼を述べ、本懐成就を誓った。
勝五郎をのせて初花が引く車が、やがて一里塚のかげに消えた。(以下註は略)」
「馬頭観世音菩薩」「瓢石道標<勝五郎旧跡 初花清水従是二丁>」「瓢箪像」があります。
岩肌に刻まれていたふくべの画は消えているようです。
旧奥州街道の芦野にある「足尾大神」明治3(1870)年。
T字路の一方は、芦野温泉の温泉口です。
「足尾山石燈籠」
奉納足尾山と刻まれた石燈籠です。
発起人 黒磯人力車組合長の名前が刻まれています。
石燈籠の上に鎮座するのは犬かと思ったら、大きなしっぽがあるので、きつねかな。
「足尾神社御神像」
平成19(2007)年に、足尾神社鎮座88周年記念で建てられました。
面足尊(おもたるのみこと)と惶根尊(かしこねのみこと)の2つの御神像。
(説明板)
「御神像縁起
面足尊、惶根尊は神世六代にぐう生した神。字義は大地創成、身体形成の意味とし更に手足の神として崇敬される。
古事記伝には「面の足と云ふは不足處なく具はりとヽのへるを云ふ。面を云ひて手足其の餘も皆凡て満足ることは、こもれる御名なり」と記される。」
関谷六日地蔵尊隣の築山庭園に、三春桜の子孫の桜と大日如来石像、「足尾大神」の石碑。
足尾大神は、明治時代に人力車の車夫が信仰していました。
カサマヤの展望台からは、足尾山を見ることができます。双眼鏡無料です。
那須神社境内案内図によると、右から高良社、淡島社、足尾社。
しかしながら、足尾社とされている社には、わらじの奉納なく、
高良社とされている社に、わらじが奉納されています。
もしかして足尾社は一番右の可能性ありですかね?
薄葉温泉神社内にある「足尾山大神」。明治時代の建立です。
西川神社群に「足尾山」碑があります。大正4年7月と刻まれています。
馬頭の別雷神社境内に「足尾神社」碑があります。
足尾神社(足尾権現)は旧小川南小学校の北側にあります。
足尾権現の壁板の左右には、草履やサンダルが奉納されています。
「出征軍馬之碑」と2基の「馬頭観世音」碑があります。
(碑文)
「支那事変 出征軍馬之碑
宇都宮連隊区司令官 下山源平書」
道の反対側の北には「庚申供養塔」(寛政12(1800)年)があります。
鳥居から上の山は「愛宕神社」です。
<足尾大権現堂>
山門の先から本堂へ長い階段が続きます。
階段上がってすぐ左手に「足尾大権現堂」が鎮座します。
権現堂左手に説明板。
「健脚ぞうり」が多く奉納されています。
鞘堂内にも履物が奉納されています。
例大祭2月8日、9月8日。
<湯殿山>
近くにカエルの像があります。
足尾大権現堂から参道を少し上ると、左手に「湯殿山」石柱。
「湯殿山」があるとは思っていませんでした。
<多氣山不動尊>
<参道>
表参道は石段を上り、「足尾山神社」社号塔から竹藪の中を進みます。
上のほうに「足尾山神社入口」新参道があり、こちらからですと、すぐに社殿です。
<町村道路改修記念碑>(昭和12年)
中峠渡船場第一号線 道路延長1220m等と刻まれています。
渡船場に通ずる道路のようです。
<足尾山神社の由来について(茨城県新治郡八郷町の資料から)>
「由緒沿革について
神体、鏡。〜以下略〜
当、我孫子市中峠地区の「足尾山神社」も、文治年間ころ、足の病に悩まれる方のために、
当時大利根川のほとりの山頂に建立され、足の諸病に悩む方や健脚を祈願する方など
「足」を大切に思う方が時折参拝に訪れており、全快され
た方々が奉納された履き物も数多く飾られ、
その御利益も八郷町足尾山神社に勝るとも劣らずとも言われております。」
靴・サンダル・松葉杖等が奉納されています。
<社殿>
社殿前の鳥居には、「奉納 足尾山神社」が掛かっています。
屋根の瓦には、神紋「羽団扇」が見えます。
<石碑/石祠>
「羽黒山 月山 湯殿山 三山参拝記念」昭和14年(1939)
「古峰神社」大正2年(1913)
「蚕影山神社」大正12年(1923)
「天満宮」天保4年(1833)
「水天宮」天保3年(1832)
「 ? 万人講中」
「足尾山大権現」文化拾年(1813)正月吉日 中峠村講中 (現の文字が摩耗して読めません)
「力石が2つ並び、鳥居の前に力石の合計3つ」
「足尾神社 坪内中」大正5年(1916) 社殿の裏
※「我孫子市史研究センター会報 第176号」中
「我孫子の社寺を訪ねる 20 中峠下根古屋の足尾山神社 近江
礼子」を参照して、
石碑や石祠の確認をさせていただきました。
千方神社境内には沢山の石碑や石祠があります。
その中に、「足尾山大神」碑があります。
裏面に刻まれた説明を読むと、角田元次郎翁を顕彰した碑で、
角田翁は明治20年4月に加須人力車組合を創設、取締役を永く務め、
その退任に当たって、加須人力車組合員一同が大正8年4月に
この碑を建て永遠の記念と為したもの。
人力車組合と足尾山信仰の結びつきがここでもうかがわれます。
<湯殿山遥拝所>
湯殿山遥拝所があります。