崩壊箇所があるため湯沢噴泉塔歩道は通行止との日光市の掲示が長らく出ています。
手白沢温泉からのルートは廃道となっており、
こちらのルートも、ハイキングレベルの歩道の再整備は望めず廃道となるでしょう。
<湯沢檀橋(ゆざわまゆみばし)>
湯沢噴泉塔歩道入口の先に、立派な「湯沢檀(まゆみ)橋」があります。
(参考)
「平家平温泉こまゆみの里の由来
ここは高冷地のため竹が生育せず、群生していた「まゆみ」の原木で弓を作り、若武者が駒にまたがり弓の修練に励んだ地、平家平、駒弓と伝わっている。これらのことを後世に伝えるため、当地に宿を建設するに当たり屋号を「御宿こまゆみの里」と命名したという。」
<湯沢噴泉塔>
歩道が壊れまくる以前のハイキングレベルだった時の記録です。 → 湯沢噴泉塔
(説明板)
「湯沢噴泉塔
噴泉塔は、明治41年 (1908年) に渡辺渡氏が、今は廃鉱となっている西沢金山探しの時に発見したもので、岩盤から94℃の熱湯が噴き出し,温泉の中に含まれる炭酸カルシウムなどの温泉沈殿物で長い期間をかけて三角錐の小塔を作ったものであり、現在活動中のものでは世界でただ一つです。泉質は含土類石膏食塩水で硫化水素のにおいがする。
こうした噴出物の堆積するものは、その類少なく学術上貴重な資料として、大正11年3月8日に国の天然記念物として指定された。
村人の話によると、この塔の先端をいたずらして折って持ち帰ったり傷つけたりすると、
山の神の怒りにふれてその人が、けがをしたり急に大雨が降るといわれている。 栗山村」
「温泉めぐり」(田山花袋 博文館 大正7(1918)年)
田山花袋が「湯沢噴泉塔」を訪れ回想しています。
「これらの山奥の温泉、冬は全く戸を閉めて浴客もないような温泉、そのまた更に山奥に処々に散在している温泉を私はおりおり頭に描いた。岩代の五色温泉なども確かにその一つである。日光の裏山の川俣温泉などもその一つである。つづいて私は嘗て晩秋に行ったことのある栗山の奥の湯沢の小さな谷を創造した。あのめずらしい湧泉はどうしているであろうか。湯が石灰質を多分に持っているので、吹き出す穴がいつともなく細長い管になって、運が好いと、それが二、三尺の高さになったところから湯の吹き出している奇観を見ることが出来るのであるが、私の行って見た時にも一尺ほどの高さを持っていたのであるが、今は、冬はどうなっているであろうか。こう思うと、深い深い山の雪が歴々と私の眼に映って来るようにな気がした。熊の跡のボツボツと黒く印せられる山の雪が、または猟師が積雪を去って幸いとして山の峰から峯へとそうした獣の跡をたずねて行くというような世離れた光景が・・・・・。」
<湯沢噴泉塔ツアー>
手軽に確実に行く方法として、湯沢噴泉塔ツアーがかつて実施されていました。
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